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2018-01-05

2018年明けましておめでとうございます

無事、2018年を迎えることができました。
この表現、実感してます。
昨年2017年10月中旬から体の左側の腹部から背中に強い張りを感じ
またチクチクした痛みがあったので、かかり付け医に相談。
まず腹部エコー撮影。
その結果、左の腎臓がやや大きいという指摘。
体の左という事で膵臓と腎臓の血液検査。
ただ大きな病院でのCT撮影を勧められる。
数日後、CT撮影をしたその日、かかり付け医から呼び出し。
画像を見たところ膵臓の後ろ側が肥大しているとのこと。
11月上旬、大きな病院の消化器内科の膵臓専門医を紹介され受診。
まず造影剤CT。これでも分からず再度エコー。さらに造影剤MRI。 
これでも確定診断できず全身麻酔の上エコー撮影できる胃カメラ検査。
これは膵臓が胃の裏側にあるので、胃壁越しに膵臓を調べるというもの。
12月13日にこの検査をする予定でしたが、
全身麻酔での検査の場合、徒歩で病院に行かなければならないのに、
自転車(帰りはタクシーに乗るつもりだった)で行ったために検査受けられず、翌週の20日に検査。
そして26日最終診断。
結論としては、血液検査と受けた画像検査では、癌を疑わせるものはなく
おそらく自己免疫性膵炎だろうが、ステロイドを投与するような重症ではないとのこと。
ただ膵尾部が腫れているのは事実なので、
どうしても原因を知りたいのであれば胃からの穿刺によりその部分の組織を採取するが
胃壁の出血や万が一癌細胞があれば、播種を引き起こす危険性があると言われる。
今はこのままで様子を見るという事で診察を終える。
「先生、これで無事年を越せます」と挨拶した時に
「いや無事ということは言えません」と言われてしまった。
一緒に行った家内は「科学者(理系の者)は、100%でない限り絶対という表現を使わないとTVで言っていた」と解説。
この2ヶ月間、本当に死について考えた。
家内と一緒に年を取りたいと思った。
老夫婦を見ると幸せそうに見えた。
今東京で暮らす二人の息子と何回会えるかなと思った。
冬のイルミネーションを見に行った時、
来年もこの場所で観れるかなと思った。
そして年が明けて、本日1月5日。
すっかり体調が10月前に戻ったかと言うと何かすっきりしない。
今は家内、帰省中の次男、親父、全能の顧客、間もなく去る下宿人と
瞬間瞬間を共有していたい。


2015-06-13

このひと月のこと

5月24日信長巡りのため、滋賀県守山市入り。
ここを起点に三カ月連続、東近江市入り。
3月の寒波の時、雪で覆われていた田園地帯や林道が
今度は緑一色になっているのは、
季節を感じられてすごく楽しく感じる。
帰りに行った南草津のスーパー銭湯はなかなか良かった。
この日からラーメンが食べたくなり、
6月8日、夜のサイクリングがてら
ぐるナビで見た生野区のラーメン屋へ行く。
美味しかった。
わざわざ来てよかったと思う。
6月中旬、プロ野球セパ交流戦最終週。
やっぱりソフトバンクにはかなわない。
というよりも、一軍蓮ベルの選手が少なすぎ。
とりあえず名前で一軍に入っている連中がスタメンでは。
一軍の常連でもレベルが低い大和・新井を
いつまでも残して、若い選手を上げたり下ろしたり。
さらに右投手には左打者、またはその逆にこだわる頭の悪い指揮官。
的確なアドバイスができない能力の無いコーチの山田・中西・関川・山脇。
こんな阪神が3位にいるのはおかしいし、
こんな阪神を3位にしているセ・リーグのレベルも低すぎ。
日本シリーズは今年もパかな。
2015-04-10

忘れないうちに

明け方に見た夢の話です。
お袋が私のそばに立っていました。
別に違和感無く話しました。
「体の調子どない?」
「肝臓取ったからすごく楽になったわ」
「そらよかった」
次のシーンでは和服姿のお袋。
「これも着れるようになったわ」
「そうなんや」と私。
その時目が覚めました。
まだ早い時間だったので二度寝。
今度はお袋とうどん屋さんに来ています。
このうどん屋さんは最初にお供えの花をくれた方です。
カウンターに座り(夢では鮨屋のカウンター席みたいですが、実際にはお店はテーブル席のみです)
大将と奥さんがこちらを見ています。
奥さんが
「あら帰ってはったん?」
うなずくお袋。
「いつまで居てはるの?」
「お盆の頃までかな」と答えたお袋。
ここで目が覚めました。
写真で見たやや若いころのお袋の姿でした。
おじいちゃん(お袋のお父さん)が死んだあと
よく夢を見たとお袋が話していました。
そろそろ私も見る回数が増えるのかな。
2015-03-27

冷蔵庫の中とはこの事

穏やかな春の日差しが一変した3月24日に信長巡りで滋賀県東近江市へ行きました。
前日八日市で泊まり、朝ホテルのカーテンを開けると鉛色の空に雪が舞っていました。
でも所々青空が見えるので多少は安して、甲津畑へ向かいました。
車に表示される車外温度が3度、2度と下がり続けます。
目的地は甲津畑から山の方へ入って行きます。
ついに外気温0度。
周囲は雪景色。
ノーマルタイヤなので万が一を考えて山を下りました。
平地へ行っても町なかへ行ってもずっと4度から6度。
山へは昼前に再度行きましたが、やっぱり2度ぐらいまでしか上がりませんでした。
本当に寒い一日でした。
2015-03-20

桂米朝も亡くなりました

昨夜3月19日夜のニュースを見ている時、米朝の死がテロップで流れました。
菅原文太や高倉健の死よりも
米朝の死の方が私にとっては喪失感は大きいです。
大阪人らしく、学校から帰って来ると吉本新喜劇を見て
その後は道頓堀アワーを見るという小学生時代を過ごしました。
その頃から誰彼と言う事は無く、落語は大好きでした。
まだ時代劇がTVで見られる時代だったので
落語に出てくる長屋の様子は十分に想像ができました。
世にいう上方落語四天王では
米朝が一番好きでした。
その次が春団治。
松鶴と小文枝は喋り方が独特でたまに聴くぐらいでした。
大学生の時付き合っていた子が落語好きで
ドライブのBGMは米朝か枝雀でした。
枝雀は落語を身近にしてくれたという点で
本当に素晴らしい人でしたが
いつからか聴くのに疲れ出しました。
だから専ら米朝を聴くことが多くなりました。
社会人になってからは
レンタルレコードから米朝大全集をテープに録音して
寝る時に枕もとでかけていました。
今もCDで復活した同じものを子守歌代わりに聴いています。
何度か米朝の独演会へ行きました。
幸いに地獄百景亡者の戯も観に行けました。
その中で一番印象残っているのは
堺市民会館での米朝一門会です。
2000円で座席は自由。
出演者が米朝・枝雀・ざこば・南光(当時はべかこ)というドリームメンバー。
いい思い出です。
大阪の人ではないのに
最も大阪らしい桂米朝の語り口は
でも永遠に残り続けます。

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